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セルフビルドで家を建てる

きこり夫婦のセルフビルド 第三歩「林業とのなれそめ」

夫・ばたです。

前回までは、セルフビルドに目覚めたきっかけについてお話ししましたが、今回からは、セルフビルドにつながるいろいろなパーツを拾い集める作業になり、内容があっちこっち飛ぶことに…。

まずは、「なぜ林業をはじめたのか?」というところに立ち戻ります。

よろしければ、というか、お願いです!どうぞお付き合いください。

林業との馴れ初め

前職は塗装業をしていた。

「塗装」とひとくちで言っても、一般的なそれとは違い、経年変化や材料とは違った材質に模した仕上がり(例えば、樹脂で造形した木をそれっぽく塗る、とか)を塗装で表現する技法「エイジング塗装」や「特殊塗装」などと呼ばれる、文字通りちょっと特殊な仕事だった。

仕事では壁画も書いたりもするので、同業者には芸大卒の経歴も多く、かくいう僕はデザイン系の専門学校を出てイラストレーターを目指すも、最終的に「エイジング塗装」業界に落ち着いたというくちである。

この仕事の面白いところは、現場をこなすたびに、次々に新たな表現や技法、材料や道具を知ることができ、飽き性で同じことを繰り返すことが苦痛な自分の性格にも合っていたし、同業者もユニークな人物が多く、とても楽しくやっていた。

ただ、15年ほど身を置いたこの仕事には、ひとつ問題があった。

主な現場がテーマパークや店舗となるので、ほとんどの場合、仕事ができる時間帯が施設や店舗の閉まっている夜間になるということ…。

そんな職種は世の中にいくらでもあるが、長らく夜勤続きの生活を身を置いていると、40歳に手が届こうかという頃、若いときには考えなかった「この仕事を一生続けることができるのか…。」という不安が頭をよぎるようになってきた…。

そんなタイミングで、ふと「一生の仕事候補」として頭をもたげてきたのが、以前に移住していた奄美大島で経験した山仕事だったのだ。

その当時、島で流行り始めた「松枯れ病」を、南端の離島・加計呂麻島で食い止めるべく、毎朝早くに港からボートに乗り込み離島に渡り、目的の山へと向かうことから始まる。

島に着いたら、まず山を見渡し、緑の山腹にポツンと赤く染まった松の木を探す。赤い点は「松枯れ病」にかかり、枯れた松の木なのだ。その原因となるマツノザイセンチュウ(通称マツクイムシ)を駆除するための薬剤や、チェーンソー、燃料、木の根を掘り起こすためのクワなどの道具一式を、5名ほどでそれぞれ分担してかつぎ、親方の後について目的の木を目指し歩きはじめる。道なき道をひたすら這いずり上がり、枯れ松にたどり着くやいなや、それを伐り倒し、短く小切ってひとまとめにした丸太をシートでくるみ、薬剤を使って処理する。というのがこの仕事のミッションである。

一本処理したら、時間の限り次の松枯れに移動して…ということの繰り返しで、僕は慣れない山歩きに掛け値なしにへとへとになった…。しかし、しんどいばかりでなく同時に自然の中で流す汗の心地よさや、昼の休憩に食べる弁当の美味さ、帰りのボートの上でプシュッと開ける缶ビール!

…とあらためて書いてみると仕事内容にはあまり関係のないことばかりだが、それでもずいずいと山仕事の魅力にはまっていった、あの時の記憶…。

「山仕事やったら、夜勤ないやん…。」

口をついて出たその一言は半分冗談ながらも、既に林業に対する興味に抗えなくなってきていたのだ。

塗装業は「一人親方」として個人事業主でやっていたとはいえ、実際には親方について仕事をまわしてもらっていたし、メインの現場であったテーマパークでは、ほぼ常駐して仕事をしていたので、急に辞めるわけにはいかない。そういう実情もあり、林業への転職を考えてから行動に移すまでには大方2年かかった。

その間も、林業への就業のための情報を探し続けた。

「林業に就くには、一体どうしたらええんやろ?どこか地域を絞って職探しをすべきやろか…。」

いまでも林業の認知度の低さは問題であるが、その当時、林業の情報はほとんど一般に出回っていなかった。

いざ林業を始めてみると、全国どこの都道府県でも大体林業の事業体はあり、森林組合などは担い手不足で常時募集しているということを知るわけだが、10年ほど前は今にもまして情報がなく、早くもお手上げ状態だった…。

そんな中、通勤の電車内でふと見上げた「高知県・移住者フェア」の中刷り広告。もともと田舎暮らし願望があり、関東でテーマパークの新規建設工事に関り、無事完成を見届けた後に長期休暇を取り、気の向くまま自分の興味を引く土地をつなぎながら、沖縄まで軽自動車で旅をした。

その道中では高知県にも立ち寄り、車からの風景や人の温かさが、とても印象に残っていた。そういえば日本屈指の林業地でもある。

タイミングよく大阪で行われた「高知県・移住者フェア」に、夜勤明けに足を運んでみた。

会場となるイベントホールの一室には、各市町村がブースを構え、中央にはスクリーンの前に椅子がずらーっと並んだスペースがあり、各テーマごとに時間が区切られてプレゼンが行われていた。

手当たり次第にブースを回り、林業に関する情報がないかを聞いてみた結果、辿り着いたのが、いま住んでいる本山町の「地域おこし協力隊・林業振興活動」という枠だったのだ。

地域おこし協力隊とは

地域おこし協力隊は、都市地域から過疎地域等の条件不利地域に移住して、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこし支援や、農林水産業への従事、住民支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取組です。隊員は各自治体の委嘱を受け、任期は概ね1年以上、3年未満です。

総務省HPより引用

この「条件不利地域」ってなんやねん。失礼すぎるやろ…。ってことはさて置き、本山町は全国に先駆けてこの制度を導入し「林業振興活動」という活動のメインを林業に据えた試みは全国で初だった。探せど探せど見つからなかった林業への糸口に、僕は文字通り飛びついた。


そんなこんなで、「40歳までに林業に転職」という目標をギリギリの39歳で達成し本山町に移り住んだ。

本山町は豊かな自然とがっちりつながった営みが残っている(弥生時代から続く棚田!)

林業は生涯勉強!


「林業をやるぞ!」と心に決め、いざ始めてみると想像以上に大量の資格が必要となる事を知る。

実際に、地域おこし協力隊の任期中に取得した資格は、

・チェーンソー・刈払い機(草刈り機)

・ユンボの運転

・林業機械の運転に関わるもの

・クレーン&玉掛け

・フォークリフト運転

・ガス&アーク溶接

などなど、取った資格の総数は、なんと16!!

林業の技術講習会の様子


資格も持たずに個人で林業をしている人はいるようだが、なにしろ労働災害の多い業界だし、資格取得は必須。その資格は、林業の仕事で活かされることはもちろん、多くのものは複業に活かせたりと、田舎暮らしのなかでもかなり使えるものが多く、かなり助かった。ちなみに、災害時にも「あったら便利なスキル」の多くが身に着く!

「これから田舎暮らしを考えている方は、全員、林業をやりましょう!」

それは半分冗談(半分本気!)として、この資格・技術がこれから始まるセルフビルドにどれだけ力になることか…。ありがたく活用させていただくことにする。

地域おこし協力隊から3年の任期を満了し、個人事業主として林業をメインに起業。今は、山林所有者と直接契約し、妻と二人で山の手入れとして木を伐り出す「搬出間伐」を中心にやっている。

この仕事を始め驚いたのが、漠然と持っていた「林業」の印象とまったく違っていたことだ。正直言って「林業はバリバリの肉体労働」だと思っていたのだが、森林と向き合うための知識は途方もなく多岐にわたり、必要とされる技術は果てしなく深く、学ぶべきことが日々増え続けているのが現状なのだ。

今日より良い山を次の世代につなぐ為に、今すべきことは何かを考え、安全にしかも効率的な作業を続ける技術を身につけ、経営ももちろん大事だし、身体と同じくらい…、むしろアタマの方が使う職業だったのだ。

これから先は、林業に関わる「複業」として、伐採や手入れのためにロープを使って安全に樹上で作業をする「アーボリスト」や、林業大学校の講師をはじめとする担い手育成にも力を入れていきたいと考えている。

加計呂麻島で、がむしゃらに汗をかいて美味いビールにありついていた、あの頃に自分に伝えたい。「林業はギンギンの頭脳労働である」と。

そして、これも声を大にして伝えたい。

「林業は、やり方を間違えなければ森を守ることになり、そしてそれは川や海を守ることにつながる。先人の植えてくれた木々を最大限活かして、自分たちも食わせてもらったうえで、100年も200年もの時をまたいで、次の世代もっと先の世代に、環境的にも資源や財産としても価値ある山をつなぐことができる仕事。こんな素晴らしいものに目を付けたお前は、本当にエライ!」と。